8月18日、89歳になる同居の母を、在宅で看取りました。
母親という、最も身近な肉親を看取った喪失感は、ここでは書きません。
自分の中にいるもう1人の私、市議会議員のはしくれとして、看取りをどう見たかを書きます。
消極的在宅看取り
母は、今年3月に胃がんが見つかりました。
肝臓にも転移があり、余命半年の末期がんの宣告を受けました。
それがどういうことを意味するのかについては、まったく現実感のないまま、Mクリニックにお世話になることに決めました。Mクリニックは、在宅医療を専門とするクリニックで、いわゆる緩和ケアを行なっています。
これまでの知見で、末期がんは、最後の1ヶ月間で、まるで坂を転げ落ちるように、衰弱して死に至ることは知っていましたので、7月から8月にかけて、どう過ごそうか、ということが、まず、気になりました。
Mクリニックからは、とりあえず、ホスピスを予約するようにアドバイスをいただきました。
コロナ禍にある中、面会を制限されるのが分かっていましたので、「在宅での看取りもありかなと思います」と言ったところ、「ホスピスも予約するように」と言われました。これは、後から振り返って、まったく理にかなったアドバイスでした。
実際何度か、在宅では無理かも、と思う場面がありましたが、結果的に在宅での看取りとなりました。
在宅看取りに必要なもの
母親の部屋が1階の南東角地、玄関の隣にあり、家族のプライバシーに干渉しないでさまざまな介護サービスを受けやすかったこと、とりわけ、訪問入浴の搬入も容易だったこと。さらに、即戦力となるマンパワーに恵まれたこと。これらが揃ったので、在宅看取りができました。
裏返せば、それらが揃わないと、末期がん患者の在宅看取りは難しいと感じました。
家族のプライバシーは、やはり守られたほうが疲れません。
入浴については、ベッド上での清拭に替えることは、もちろん可能ですが、QOLの点でやや難があると感じます。
即戦力となるマンパワーの欠如については、これを個人の頑張りで補うことは相当難しく、また、ケアラーに過度の負担とストレスを与えることになることは、覚悟せねばなりません。
ここで言うマンパワーは、医師、看護師、ヘルパーといったプロのことではなく、家族や親戚のことです。即戦力とは、ズバリ、医療や介護の知見がある、と言うことです。私の妹は、高齢者施設でヘルパーとして働いていた時期がありました。妹なしでは、末期がんである母を在宅で看取ることは無理だったと思います。また、長男夫婦も医療機関での勤務経験がありますので、いろいろアドバイスをもらうことができました。即戦力と限定をつけるのは、頑張らないでも一定のパフォーマンスをあげることができるからです。マンパワーがあっても、たとえば私程度では、リスキーと感じました。
以下、具体的にお話しします。
余命1ヶ月の宣告と酸素吸入
母は、7月27日に余命1ヶ月の宣告を受け、同時に、酸素吸入を始めました。酸素発生装置をレンタルし、24時間酸素吸入を受けることになりました。酸素飽和濃度が80%台まで下がることが頻発したための措置です。パルスオキシメーターも購入しました。
新型コロナウイルスが流行しているので、高齢者施設は、血中酸素飽和濃度に敏感です。
厚労省の基準で言えば、93%以下は、新型コロナウイルス感染症中等症IIです。重症の一歩手前です。なので、通い先のデイサービスで酸素飽和濃度を測定し、93%以下だと、即座に震えた声でデイサービスから電話がかかってきます。「〇〇(母の名)さん、このまま、デイサービスにいても大丈夫ですか?」と。
新型コロナウイルスに罹患したわけではないので、「急変することはないと思います」と返事して、その日は、通常通りの帰宅となりましたが、酸素飽和濃度が改善することがなかったので、酸素吸入を始め、同時にデイサービスも辞めました。酸素吸入をしながら、外出する方もいますが、末期がんで先が見えているので、自宅で1日過ごすことを選びました。
トイレからオムツへ
母は、8月15日までトイレで用を足していました。オムツにするようになったのは16日。そして、18日に亡くなりました。実に死ぬ3日前までトイレを使っていたのです。これは、娘としては美談として語りますが、客観的な視点からは、在宅介護ができなくなる危機と受け止めました。
トイレに行きたいというのは母の要望でした。娘は、それに応えたいと頑張ります。でも、衰弱し、立つことはおろか、座ることさえままならない人間をトイレに座らせるのは、大きな困難と危険を伴います。
酸素吸入を始めた頃はまだトイレまで歩いて行けたので、酸素吸入のためのカニューレをつけたまま、トイレに行きました。
末期がんの衰弱の進行は大変早く、1週間ほどで、歩行でのトイレは困難になりました。
「ポータブルトイレ」とケアマネからは提案がありましたが、ベッドのある部屋で家族が食事をとることもあったので、抵抗があり、車椅子で、トイレに連れて行きました。
数日で、車椅子でのトイレ通いも難しくなりました。ベッドでの乗り降りと、トイレでの乗り降りと、2回あるからです。動くと、どうしても、呼吸の苦しさも増します。ここで、ポータブルトイレをレンタルしました。
ポータブルトイレも、1週間で困難になり、最終的にはオムツになりました。
89歳ではありましたが、筋肉質で体格の良い母を、介護経験の少ない女性が1人で、ベッドから立ち上がらせ、トイレに座らせ、また立たせて、と言うのは、困難だけでなく、転倒の危険も伴いました。これは経験してみないと分からないことでした。最終盤では、隣に住む長男を呼んで来て、2人がかりで、トイレの介助をしました。
8月15日、とうとう妹と2人で、母に「オムツで用を足してくれ」とお願いしました。母はいいよと言ってくれ、オムツで用を足すようになりました。胸の奥がチリリとした瞬間でした。
赤ちゃんがオムツが取れて、トイレで用を足せるようになるのは、成長の証で、とても嬉しいことです。その逆は、本当に悲しく、母に対しても申し訳ないことです。しかし、トイレ介助に2人必要では、現実的にこれ以上、在宅での介護はできないことを意味します。在宅介護の危機です。
母の場合、浮腫を取るため利尿剤を使っていたことや、過活動膀胱のため、トイレの回数は多く、短い時は30分から1時間おきにトイレ介助をしました。昼間はまだしも、夜間に3回もトイレ介助をしたら、翌日は誰でも体調不良です。
ただ、「施設にいたら、もっと早くオムツになっている」という声も聞きます。そんなものかな、と思いました。母の場合、8月を越せないのは分かっていましたので、たった1ヶ月のことだけと思い、体調不良も我慢しました。
在宅看取りには、男性へルパーが不可欠
母の希望で、ヘルパーさんは女性のみでしたが、トイレの介助ひとつとっても、座ることさえままならない人の介護は、女性1人ではかなり難しいです。男性ヘルパーが不可欠と思います。
亡くなったその日に、初めて男性ヘルパーさんが来ることになっていました。
衰弱が進んで、意識も混迷していて、目の前にいる人間が男か女かも認識しているようには見えなかったので、男性ヘルパーでも大丈夫かなと思っての選択でしたが、結局、母が男性ヘルパーをどう思うかは、永遠の謎となりました。
末期がん患者の変化の速さ、追い付かない介護保険制度
介護保険制度を使えば、自宅での看取りは可能です。母は、当初は要介護度1、途中で3に上げてもらいました。以下がサービス内容ですが、限度額までにはまだ余裕がありました。
月曜日から金曜日までは、ヘルパーさんに1日3回来てもらいました。午前9時、昼、午後3時で、清拭、トイレ、食事、服薬をやっていただきました。訪問リハビリが週2回、訪問看護が週1回でした。2回だけでしたが、訪問入浴にもお世話になりました。あとはベッド、車椅子、ポータブルトイレなどのレンタルの利用。
訪問看護は、最終的にはもっと入ってもらえば良かったと思いました。
在宅では、これらのサービスを最終的に調整するのは、家族の役割になります。
もちろん、ケアマネがついています。しかし、本人に代わって、サービス内容を最終的に決定するのは家族の役目で、これが、母の場合、なかなか大変でした。
なぜかというと、現行の介護保険制度は、基本的に月単位、週単位でサービスを組み立てており、日単位、時間単位で容態が変化する末期がん患者のスピード感にはついていけません。それを先読みしながら、ケアマネに相談し、サービス提供者を探してもらわなくてはいけません。
また、自宅での看取り自体が少ないので、在宅に来るヘルパーさんは、軽度から中度の介護度の人の介護経験が中心となり、末期がん患者の介護に経験豊富な人は少ないのが現状です。慢性的なヘルパー不足の中、急速に衰弱していく末期がん患者の介護を、「ウチに任せてください、大丈夫です」と言ってくださる訪問介護事業所は、日本中を探したわけではありませんが、なかなか見つからないと思います。
母に介護に来てくださったヘルパーさんは、とても良い人でした。ただ、ひとりで何もかもやらなくてはいけないので、いくらプロでも女性ですので、そこは、おのずと限界がありました。
最近は、アシストスーツがだいぶ普及してきました。ネットで調べた限りですが、レンタル料月額11,000円というのがありました。電力不要だそうです。しかし、装着方法など、やはり、ある程度落ち着いた環境でないと、導入は難しいかも知れません。
すべて外注に頼るのは難しく、それを補えるだけの即戦力のマンパワーが家族内にいないと、やはり施設に入れましょうと言うことにならざるを得ないと感じました。
もし、末期がん患者の自宅での看取りに特化した、在宅介護サービスのパッケージのようなものが、介護保険サービスの中にあれば、家族はそれを選択するだけで何ら心配することなく看取りをできますが、現実は、ケアマネと相談しながら、一つ一つサービスを選択していく今の仕組みの中では、末期がん患者の自宅での看取りは、どうしても家族の負担が大きくなります。
母は、Mクリニックのアドバイスに従って、ホスピスも予約してありました。今、振り返ってみて、理にかなったアドバイスと思います。親の見取りなんて、そう何度も経験するものではありません。初心者には保険が必要です。破綻した場合の逃げ道を用意しておく必要があります。
ゆる介護
ただ、大変ながらも楽しかったのも事実です。介護初心者の家族がしくじりながら介護するのは、アリかなと思います。ゆるキャンならぬ、ゆる介護。
しくじりと言えば、7月30日、母は、夜中にベッドから起き上がり損ねてベッドから転落しました。運悪くベッド近くにあった座卓にぶつかり、あばら骨を骨折してしまいました。
病院や施設なら、管理者の不手際が問われたかも知れません。
しかし、そこは自宅。
運が悪かった、とのみとしました。
母には痛い思いをさせましたが、残された時間はほんのわずか。楽しいことを考えましょう。
ゆるいと楽しいです。遠くで暮らす次男や従姉妹など、普段ならめった会わない人ともたくさん会えました。母を囲んで、わいわいと大勢で食事をすることもしばしば。結局、家族に悔いが残らないことが一番大事なことですから。
「おいおいゆるい介護なんて、ふざけているよ」とお感じの方もいるかもしれません。母の人権と気持ちを尊重し、苦痛を取り除いた上でのゆるさです。気持ちの上でのゆるさですね。
末期がん患者のリハビリ
末期がん患者にリハビリは不要なんじゃないかと、最初は思っていました。
リハビリとは、残存する機能をできるだけ長く保つためにするものと思っていましたから、余命1ヶ月を宣告された母にリハビリは必要ないと思いました。
しかし、それは誤りでした。
確かに「焼け石に水」感はありましたが、死ぬ3日前までトイレで用を足せたのは、本人の頑張りはもちろんですが、リハビリを受けたこともあったかと感じます。
何より、本人がリハビリが大好きだったことがあります。身体が楽になるようです。
末期がん患者が寝たきりになるのは、倦怠感からだけではなく、筋力低下や関節が拘縮して、動きが悪くなることも大いに関係あることがわかりました。つまり、疲れやすい→動かない→筋力が低下し、関節が拘縮する→歩くのが怖くなる→さらに動かない→さらに筋力低下し、関節が拘縮するという悪循環に入り、最終的に寝たきりになるのです。
リハビリを受けると、関節の拘縮が改善するので、体の動きも改善し、本人の苦痛が減るようです。
リハビリの人からは、トイレに行くのもリハビリだからと言われました。末期がん患者であっても、寝たきりは、できるだけ予防したほうが、QOLが上がります。
最期の時
亡くなったのは、8月18日の未明でした。気づいた時には呼吸がなく、心臓が止まっていました。
亡くなる前の日、母は発熱しました。37度5分程度でした。夕方、往診に来てもらい、PCR検査をしました。(翌日夜に結果が分かり、陰性でした。)
発熱の原因は不明です。
午前中は訪問入浴が来て、入浴しました。午後、食事量はだいぶ減りましたが、それでも大好きなプリンは半分食べ、水分も経口で摂ることができました。
22時頃、母に薬を飲ませました。この時は、昼間と違い、水がうまく飲み込むことができくなっていました。薬が口の中に残らないようにと、氷片を含ませました。
パルスオキシメーターで血中酸素飽和濃度を測っても80%よりあがりません。酸素発生装置は最大量の酸素を供給していましたし、カニューレも外れていませんでしたが。
慣れた方なら、ここで、母の命があと僅かと気がつくのかも知れません。しかし、呑気な私は、明日の朝も母の命があると思い、「明朝、看護師を呼んで痰の除去をやってもらおう」と考えていました。
24時頃、ゴーゴーという音が母のほうから聞こえました。嵐の日に木々が風に当たって出すような音でした。
日付が変わって、18日午前2時頃、ゴーゴーと言う音は痰が絡んだような音に変わっていました。
午前4時頃、ふと気がつくと、静かになっています。
その時点では亡くなったとは思わず、眠ったのかなくらいに思っていて、パルスオキシメーターを母の指に嵌めました。
値が出ません。
機器の故障かと思いました。何度かやり直してみて、もしかしたら?と思い、大きな声を出して、母の肩を揺さぶりましたが、反応がありません。
ここで初めて、亡くなったんだと思いました。
自分1人だったので、妹と長男、Mクリニックに連絡しました。
母は呆気なく、あの世に旅立ちました。
長男が駆けつけて来ました。
まだ体が温かったので、「心臓マッサージをやる?」と聞かれました。
ここ数日、母はうわ言のような独り言をずっと喋り続け、「体を起こしてくれ」、「外に行きたい」と今となっては無理なことを訴え、まるで、線香花火が最後に激しく燃えているようだったので、あっけない最後の幕切れは、自分の中にストンと落ちました。
そのまま、余計な延命はせず、あの世に行っていただくことにしました。
PCR検査
さて、PCR検査の結果が18日の夜になるまで、ほぼ丸一日出ませんでした。そのため、思いがけない支障が出ました。
まず、葬儀日程が決められない。なぜかと言うと、もし陽性なら、まず火葬にしてしまうからです。
また、連日30度を越す日々でした。母の遺体は、朝、訪問看護師が着替えをさせたのち、家の冷蔵庫にあった保冷剤を乗せただけでしたので、なるべく早く葬儀屋さんに来てもらい、ちゃんとした保冷剤を使って、ケアして欲しかったのですが、断られました。側には近づけないと。
仕方なしに、玄関先で保冷剤を受け取って、葬儀屋さんのアドバイスに従って、家族が保冷剤を乗せました。
これまで、コロナの影響をあまり受けずに、母の見取りができましたが、最後の最後で、「今は新型コロナウイルス感染症蔓延状態なのだ」と思い知らされました。
まとめ
自宅での看取りを考えている人に役立つ情報になればと思い、書きました。
私たち姉妹は、父が長く施設に入所したのち、病院で最期を迎えたことについて、どこか後悔を抱えていました。
今、母が自宅で逝って、これで良かったと思っています。
病院で死ぬのが当たり前の世の中で、自宅での看取り。
何人かに、警察の捜査が入って大変だったのではないかと聞かれました。捜査は入っていません。
現代社会で自宅で看取るということは、医師、看護師、ケアマネ、ヘルパーといった方々との連携をしっかり取り、適切な介護、そして、死因に怪しい点がないように気をつけなければいけません。それさえ覚悟すれば、母と過ごす最後の時間を、自分の思うようにデザインできるのは、家族にとっては楽しい思い出です。