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保谷なおみ
西東京市議会議員
保谷なおみ(七緒美)です。
市議会議員6期目ですが、気持ちはいつも新人議員です。
2021年3月から、2023年1月まで、第23代西東京市議会議長を務めました。2023年2月にハラスメントPTの座長に就任、1年間務め、報告書をまとめました。
現在は、広報委員長を務めております。

ときどき見に来てください。

宮城県女川町、仙台市荒浜と名取市閖上、岩沼市を巡り、東日本大震災後8年の軌跡の一部を見て来ました。

千年希望の丘相野釜公園にて
千年希望の丘相野釜公園にある慰霊碑
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目次

「震災で、10年過疎が早まった」~女川町に行って感じたこと


宮城県女川町へは、東日本大震災の翌々年に訪問し、それ以来ですので、6年ぶりです。当時の面影はありません。ただ、人口が、震災前の6割程度しか回復していないということで、将来、どうなるのか、気になります。

今回、あらためて女川町に行って、思ったこと。
「震災で、10年過疎が早まった」。
「女川町は、もっとも震災復興がうまくいった町」だそうですが、それでも、震災前の規模には戻っていません。
他の町は、もっと厳しそうです。
震災直後、陸前高田市に行き、町が跡形も無く消え、その後、かさ上げ工事が行われていたところまでは、見ています。
その後どうなったか?
今回の旅で、震災復興を進めるみなさんのお悩みを聞くことができました。

女川町役場で、須田善明町長と対面いたしました。東京田無ロータリークラブが電子黒板を女川町に寄付することになったので、その御礼のため、町長みずからがご出席いただきました。

須田善明女川町長
須田善明女川町長(左)

東京田無ロータリークラブでは、支援物資を、震災直後から運んでいます。高台にある被災者住宅に行くと、大勢に方が出てきて、支援物資を受け取っていました。高齢化が進んでいるようで、隣室の人には届けるという方もいらっしゃいました。
震災直後は、見るもの無残な姿だった女川浜もすっかりきれいになり、地元産のさんまの加工品などを売るおみやげもの屋・ハマテラスもできました。

支援物資の配布
支援物資の配布を今も続けている。
ハマテラス
女川浜にあるハマテラス
女川湾の美しい夕焼け
女川湾の美しい夕焼け

千年希望の丘(岩沼市)~松島に学ぶ津波被害を減災する仕組み

宮城県女川町、仙台市荒浜と閖上、岩沼市を巡り、東日本大震災後8年の軌跡の一部を見て来ました。女川町、荒浜は、東京田無ロータリークラブのみなさんと、岩沼市は、保護司会西東京分区のみなさんと、それぞれ行きました。


宮城県南部の海岸沿いには、貞山堀と呼ばれる江戸時代の運河があり、「貞山堀を超えて津波は来ない」という言い伝えがあったそうで、これが、閖上、荒浜、岩沼市の死者が多かった理由の一つであるようです。
今回の視察で、岩沼市が、「千年希望の丘」というものを作っていたのを知りました。
松島が、湾に浮かぶ無数の小島が緩衝帯になって、津波被害を減災したことにヒントを得たのだとか。
一番海側には防潮堤。
江戸時代からの運河貞山掘は、あらためて幅を広げて、防災力をアップ。
防潮堤と貞山掘のあいだに、ところどころ小山を築いて、いざというときの逃げ場と減災に役立てる。これが「千年希望の丘」です。
運河を広げ、小山を築くだけでなく、運河沿いや小山に植栽をして、土留めと観光資源の創生。

コンクリート製の防潮堤はありません。コンクリートの耐用年数は50年。防潮堤を50年ごとに作り替えのは、現実には難しいとすれば、案外、小山に植栽は実用的な防災手法かもと思いました。

地元寺の住職
案内していただいた地元のお寺の住職

仙台市荒浜

仙台市荒浜地区は、住居不可地域に指定されているので、広大な平地に、ぽつんぽつんと当時を思い起させる震災遺構があります。

荒浜にある慰霊碑
荒浜にある慰霊碑
震災遺構
あえて震災当時のまま残してある

名取市閖上

もっとも被害の大きかった地域のひとつが、閖上。あらためて、慰霊の祈りをささげました。

閖上の慰霊碑
閖上にある慰霊碑
閖上の碑文
名取市内で964名の方が亡くなった
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この記事を書いた人

西東京市議会議員 保谷なおみ 後援会

保谷なおみ
西東京市議会議員
保谷なおみ(七緒美)です。
市議会議員5期目ですが、気持ちはいつも新人議員です。
2021年2月から、第23代西東京市議会議長を務めています。

ときどき見に来てください。
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