東町にある清水建設住宅の取り壊しが決まり、敷地内にある集会所の保存を求める陳情が出され、趣旨採択となりました。
現在大阪にある国立民族学博物館の前身が、昭和初期ここにありました。今ある集会所は、当時の建物の一部を使って、建て直したものなので、市の文化財指定は受けていません。
しかし、前身というのが、第二次大戦末期の日銀総裁で、戦後は幣原内閣の大蔵大臣だった渋沢敬三氏が作ったアチックミュージアム(屋根裏博物館)で、日本初だったことは、西東京の歴史の大事な一幕であります。
なんとかしてこの集会所を残してほしいという市民の熱意はごく当然のもので、市の文化財指定がなくとも残したいものです。