意味がよくわからない。でも、評価はする
2018年4月21日(土)
市民会館3階大会議室で、「みんなでつくろう!子どものためのルール~西東京を子どもにやさしいまちにしよう~」が開催されました。
これは、今、西東京市が策定を進めている(仮称)子ども条例の要綱の素案ができたので、子どもに見てもらい、意見を聞くという催しです。
参加者は、小学生18人、中学生11人、高校生1人でした。小学生と中学生、それぞれ6名のグループを作り、いい点、疑問点、意見を、ポストイットに書き、最後にグループごとに発表するというものです。グループごとに児童館の職員がひとりづつ入り、説明したり、とりまとめを行っていました。
もっとも多い意見は、「意味がよくわからない」。
もっとも多い意見は、「意味がよくわからない」というものでした。まず、虐待、貧困、といった言葉の意味が分からない。これは、小学生に多かったようです。
「最善の利益」という言葉は、中学生でもわからないという意見が出ていました。
そりゃそうでしょう。大人だって、きちっと答えられる人は少ない。
意味はかろうじて分かったとしても、具体的内容がよくわからない。これは、ほぼ、すべてのグループから、意見として出ていました。
読んでいただくと分かりますが、漢字にはすべてひらがなを振り、最大限、努力した跡が見られます。
しかし、抽象度の高い文章ですので、まあ、小中学生が理解できないのが、普通でしょう。とはいえ、子どものために大人が努力するのはいい、「子どもが失敗や間違いをしてもやり直し、成長できるまちにしていく」のは良い、子どもの意見を聞いてくれるのは、良い、という意見も多く、「なんだかよくわからないけど、いいことが書いてあるようだ」という反応でした。
これについては、「この素案とは別に、子どもの向けの、もっとかみ砕いたものを作る予定だったが、間に合わなかった」と、最後に主催者の一人から説明がありました。
誰のためのルール? 1人ひとり「違う」のは認めてほしくない?
意外だったのは、「子どものうちは、守られるけど、大人になったら守られないのか」、「こんなに子どもによくしてくれるのは、何か裏があるのか」、「助けてくれるのはいいが、変にかかわられても迷惑」、「大人の気持ちがわからない」といった意見が、多かったことです。
「大人のほうがルールを守らない」という耳に痛い意見もありました。
「1人ひとりの違いが認められ」と言われると、「普通じゃないと言われているみたいでいやだ、言い方を変えてほしい」という意見もありました。多様性をうたいながらも、現実には同調圧力が強い、日本社会の現実を見せつけられた気がしました。
虐待、いじめに遭っている子どもからは、言えない
数としては、少なかったですが、「虐待、いじめに遭っている子どもからは、言えない」という意見も出ていました。
そういう子どもたちに、市民みんなが手を差し伸べるのが、この条例を作る最大の目的です。
大人全員が、子どものことを大切に思ってほしい
子どもに関わる大人だけでなく、子どもに関わらない大人も、この条例の対象を広げてほしいという意見もありました。
約2時間のグループワークを観察していて思ったのは、子どもだからと言って、特別な意見が出てくるのではなく、ごく当たり前なことを、意見として言っていました。
一言でいうなら、「子ども扱いするな」ということでしょうか。身近な大人、特に親に向けてのメッセージのようです。
大人はルールを守らない、と訴える子どもが大勢いました。
まあ、私も、親のはしくれとして、経験を語らせていただくなら、小学生も高学年になれば、家族の一員、共同生活者として、同じルールを守るようにしたほうが、子どもとの軋轢は少ない気がします。お酒、たばこは別ですが。